どうも龍之介です。
VOL.3 まちがった英語教育編です。
あなたは英語を話せますか?
私は話せません。しかし、我々日本人の多くは中学校で3年間、高校で3年間、大学で2~4年間。合計8~10年もの期間を英語の勉強に費やしています。最近では小学校から始める学校もあります。
さらには、この期間でも飽き足らず、学校以外での塾や英語教室、幼少時に耳を慣れさすという意味で、英語教材を使っての家庭内教育などなど、実に様々な方法によって英語を習得させようと頑張っています。
しかし実情は 、 、 、 日本人の大半、政府が調査した結果では、約7割が全く話せず、残りの3割のうち自分の意思が的確に伝えることができる人の割合は、さらにその半分と言われています。
これだけの時間と費用と努力を注いできたにも関わらず、仕事や生活で支障のない英語を、話せる人はたったの15%です。
ありえますか???
なんとなく伝わるレベルの方を除くと、全体の約70%の方の英語力は、まったく使い物にならないレベルということです。
我々は海外で一杯のジュースも
買えません、、、
まったく使い物にならない英語レベルというのは、少なくとも6年以上の間、単語を覚えたり教科書を読んだり、定期的にテストを受け、あんなにがんばったのに、初めての海外旅行に行った際に、飲み物一杯もろくに買うことができない、、、
例えばオレンジジュースをお店に買いに行ったとして、こちらが一方的な会話で購入できるようなものであれば問題ないかもしれません。
しかし、ファーストフード店などのように、オレンジジュースを買うと、たちまち店員から、
「サイズはどうしますか?」
「ご一緒にポテトはどうですか?」
「今ちょうどキャンペーンで、オレンジジュースを買うと、こちらのキーホルダーが、プレゼントされます!」
などなど、次々に望んでもいない返答が、マシンガンのように返ってきます。
大半の日本人はこれでノックアウトですよね。
ああああ、、、、、、情けない。。。
「なんでだ???」
「あれほど英語勉強したじゃないか!!」
「あの勉強は、
いったいなんのためだったのか??」
はじめて上記のような、辛辣な体験をしてしまった方のなかで、志の高い方々の一部は、帰国後に高額な英会話教室に通うことになりますが、大半の方は、やはりそれも継続できずに元の木阿弥となるでしょう。
実は当然の結果です。
読者の方々の中にも、お心当たりがある方も少なくないのではないでしょうか。でも、これは冷静に考えてみると、実は当たり前の結果だと私は思っています。
私は、別の章でも書いていますが、高校卒業後、中国の上海に留学し、現地などでの起業も含め、6年間中国に在住しました。まったく話せない状況のまま留学しましたので、最初の数週間は、当然の如くなにをするにも一苦労でした。
ですが、半年も経たないうちに、私だけでなく大半の人は、日常生活には困らない程度の中国語力が身につきます。こういう話は海外に留学された経験がある方々は、ご理解いただけると思います。
たったの半年です。日本での英語は、約10年間勉強しましたが、まったく身に付きませんでした。
ここでお気づきの方も、いらっしゃるかもしれませんが、英語で我々が一生懸命勉強していたのは、会話ではなく「読み・書き」ではなかったですか?
たしかに、一部の授業では教師が外国人で、英会話の授業も受けた記憶はありますが、、、。
通用するわけないですよね。
私たち日本人が、求めている英語力とは「読み・書き」ではなく「聞く・話す」ではないですか?
一部の理系、つまり医者や研究者のような方は、論文やカルテなどが英語やドイツ語などで書かれているため「読み・書き」が必要だったかもしれません。
ですが、大半の方は違いますよね?
”目的”と”手段”が全く違っているのですから、身につかなくて当然です。
卓球を習得するために座学?
たとえば、私には双子の娘がいます。中学入学と同時に、なぜかそれまでに経験のなかった卓球に興味を持ち、毎日ひたすらラケットの素振りや勝利に直結するための“実践練習”をしてきた甲斐もあってか、3年生の時には県大会にも出場できる実力を身につけることができました。
中学時代の短い間に経験のなかった卓球で、レベルアップが図れたのは、当然ですが日々の“実践練習”を、一生懸命にしたからこそだと私は思います。スポーツの世界では当たり前ですよね。
仮に卓球のレベルアップを図るために実用書などを眺めたり、毎日卓球関連のテキストや参考書などを使い、”座学”に勤しんでいる部員を指導者が発見したとすると、間違いなく、その手法が卓球のレベルアップには、最適でないことを指摘し、すぐに他の部員と同じく体操服に着替え、ラケットを振らせ、ボールを打たせるでしょう。
つまり“実践練習”をさせます。
なぜ英語教育になると、その当たり前のことに気づく人が、これほどまでに少ないのでしょう。
なんのために英語を勉強したのか?
また、身につかない大きな理由が、もう一つあります。
私の留学時代の話に戻りますが、急速に中国語力を身につけないといけない理由がありました。
当然ですが、とりあえず生活をするためです。物を買うにも、遊びに行くにも、彼女をつくるにも、すべてにおいて中国語が不可欠な状況です。
つまり”目的”が極めてはっきりしていたわけです。
双子の娘たちは、卓球をはじめて間もなく、新人戦という彼女たちにとって、初めての大きな公式試合に参加しました。
まだ、ろくにラリーも続かないレベルの娘たちの学校は、運悪く1回戦で優勝候補と言われていた強豪校にあたり、笑ってしまうほどのレベルの差で、完膚なきまでに叩き潰されました。
それに悔しさを覚えた娘たちの学校は、部員全員が卒業までに、その強豪校に勝利することを目的とし、日々の練習に励みました。ここで当面の目標は、早急なる卓球技術のレベルアップとなりました。
目的が決まると、
やる気が出る?
目的が決まれば、あとはマイルストーン的に日々の目標を具体的に設定すれば、辛いときや、やる気が出ないときなど、様々なシチュエーションで、あの悔しい経験を思い出し、目的を再確認することにより、再度気持ちを入れ替え、また練習に励みます。
これを実践したことにより、2年の2学期くらいから、その強豪校とのレベルの差は縮まり始め、3年になる前には、何度か勝てるようにまでになりました。
これを英語勉強に置きかえてみますと、日本での英語勉強の際に、目的をもって励んでいる方は稀ではないでしょうか。中学生の英語の授業が、開始してすぐに「俺は1年後に、外国人と好きな映画について意見交換をしたい!」や「俺は、大学卒業後、英語系の商社に入社し、外国人との商談を成功させるんだ!」もしくは「同じ学年の美人留学生に、告白して彼女になってもらいたい!」などなど。
目的なかったですよね??
中学に入って英語の授業が始まったから、何の疑いもなく、、、、
テストで良い点をとらなくっちゃ!
「読み、書き」の、、、、
日本の英語教育って、
いったい???
当然、運が良ければ数年後に気づいてしまう、この意味のない日本の英語教育、、、
私が中国に留学していたことで、中国人はもちろん、他の中国語圏である香港や台湾の友人も多いのですが、彼らの中で大卒の方は、ほぼ100%に近い方が、英語を流暢に話すことができます。
彼らに私は中国語は話せるが、英語は全く話せないことを伝えると、日本人は学生時代に、英語の授業は受けてないの?? と不思議そうに聞いてきます。私は大半の日本人は、少なくとも6年以上にわたり、英語の授業を受けていると応えます、、、すると
「なぜ? それで話せないの??」
本当におっしゃる通りである。
中国、台湾、香港も日本同様に、昔から英語の授業を受けており、彼らは当然のように授業で習ったから話せるに決まってるよ!
という、、、、、、。
毎回このやり取りが辛い。
また、彼らの国は将来仕事で英語を使うことを、当然のように想定しており、目的が明確であるため、より実践的な英語を身につけないといけない、という心構えが、我々日本人とは明確に違います。
我々日本人のように、漠然と英語は身につけておいた方がいいよね!
いつかきっと役に立つだろうから、、、という超曖昧な気持ちで、しかも実践には、ほぼ役に立たない「読み・書き」ばかりを勉強し、「読み・書き」一辺倒なテストを受け評価されるという、もはや滑稽ともいえる、これらの教育方法によって時間を浪費しています。
これらもまた、前章にも述べたようにバブル以前の
とにかく、レベルの高い高校(中学校)に進学しなさい!
そうすればレベルの高い大学にいける!!
レベルの高い大学に入れば、良い仕事に就くことができる!!
英語教育も同じく
「今後は、日本ももっと発展し外国人との交流をすることが増えるだろうから
”とりあえず”勉強しておこう」 聞く、話すではなく読み、書きの、、、。
という目的が、どうしても明確にすることが難しかった時代の「教育方法」が、今も変化することなく、根深く残っているといえるのではないでしょうか。
続きはVOL.4 「将来を早く決めなさい!という親や教育者たち」編へ
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